コロナのことからいろいろ考えさせられることが続き、
私自身もどのようにしていくべきか、悩み続けております。
そんなとき、あらためて所依の経典として読んでいる「浄土三部経」に尋ねてみました。
本来ならば、『阿弥陀経』の全体の構成や物語の進行についてご説明していくのですが、
昨今の状況を鑑みて、『阿弥陀経』に書かれていることをもう一度咀嚼できないかと思いました。
『阿弥陀経』をあらためて読み返してみると、
私たちに様々なメッセージを送ってくれていることが分かります。
前半は、極楽世界(西方浄土)の様相について詳細に書かれていますが、
経典の最後の方に、私たちへメッセージが語られています。
釈迦牟尼仏(お釈迦様)は、極楽世界にいる諸仏が説くことは、
不可思議な功徳があるといいます。
これを娑婆の私たちが信じるのは、なかなか難しいとも言います。
それは私たちの世界が五つの濁(よご)れた世であるからです。
一つは劫濁(こうじょく。長い時間をかけて世の中が濁れていく)。
二つは見濁(けんじょく。それによって邪な見方になってしまう)。
三つは煩悩濁(ぼんのうじょく。邪な心から欲望が強くなっていく)。
四つは衆生濁(しゅじょうじょく。欲望にかられた人たちが増えていく)。
五つは命濁(みょうじょく。世の中が汚れ、人心も乱れ、その命も濁れていく)。
大げさに説明をしておりますが、今の世界を見て、
おおよそそのようなことが当てはまるのではないかと感じます。
それ故に釈迦牟尼仏は、人々が信じるのは難しいかもしれないが、
あえて説いていくといいます。
「気づかないこと」や「気づけないこと」、あえて見て見ぬふりをして
「気がつかないふりをしていること」が、多くあるのではないでしょうか。
今私たちは、すべてにおいて「疑い」を持っているように感じます。
いい話を逆手に取って、本当に信じられない詐欺が横行しています。
人を疑いたくなる気持ちは分かります。
しかし、『阿弥陀経』には、自らを一日から七日、一心に心を乱さず、
念仏を称えなさいといいます。
「心を乱さない」のは難しい事ですが、仏の教えに、「疑わず」に純粋に聴く姿勢が、
今はとても求められているように思います。優しく素直な心を持ちたいと思います。