浄土三部経 『慈光』第77号より

 前回から、「お経」について書き始めました。私たちが用いる根本経典を総称して「浄土三部経」といいます。『仏説無量寿経』二巻『仏説観無量寿経』1巻『仏説阿弥陀経』1巻をいい、どの経典も重要ですが、浄土真宗の開祖、親鸞聖人(一一七三ー一二六三年)は、特に『仏説無量寿経』を真実の教えであると述べています。「浄土三部経」に共通する内容は、浄土の様子について書かれていて、そもそものインドの名前が「極楽の荘厳のお経」という意味です。

 さて『仏説無量寿経』上下二巻の内容ですが、舞台はインドのマガダ国に王舎城と呼ばれる場所があり、お釈迦様が多くのお弟子などに対して説法をするというストーリーです。説法の主人公として阿難(あなん)と呼ばれる弟子が登場します。

 上巻のメインは四十八の願いが書かれているところです。四十八の願いを成就しないと、仏とは成らないと誓います。これを「四十八願文(しじゅうはちがんもん)」といい、私は満中陰四十九日法要の時に読むときがあります。四十八願文はとても大切な箇所です。あらためて後ほど書きましょう。

 下巻では、極楽浄土に生まれたいと願うものは、必ず仏になるといわれており、阿弥陀仏の名前を聞き、信じたならば往生が定まるといいます。その後、弥勒菩薩が説法の対象者となり、極楽往生の世界の様々な事柄について述べていきます。弥勒菩薩の最後の仕事は、迷える多くの人々を極楽浄土へ導く役目があります。それが成就すると、弥勒菩薩も同じく浄土往生ができるといわれています。

 四十八願文について補足をします。四十八願文の第十七願目と第十八願目はとても重要です。第十七願は、仏の名前を称えて讃えなければならないと誓います。第十八願は、すべての衆生が一心に信じて仏の名前を称え続けられれば、必ず極楽往生をするといいます。十七・十八願は重要な箇所で、『仏説無量寿経』の中心的な部分と言われます。古来より念仏を称えたら浄土往生できるといわれる根拠の箇所になっているからです。

 極楽浄土は存在するのか、阿弥陀仏は人なのかと聞かれることがありますが、お経に書かれている浄土について触れる中で、次回以降書いていきます。

 

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