悪いこと 『慈光』第83号より

 「仏様は見ているよ」と昔、先々代に言われました。いたずらをしていたときです。どんな国でも悪いことはしていはいけませんね。仏教にも、自らの行いを正すことは常に問われています。

 「五悪」とわれ、不殺生・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪淫・不妄語・不飲酒(ふおんじゅ)を言いいます。実際は人間の行いが五つの悪だけではありません。それ故に戒律を守るようにいわれるのですが、規律に縛られると、破りたくのが人間の浅ましいところかもしれません。

 『無量寿経』には「悪」ついて触れているところがあり、右に書いたのとは異なる表現が見られます。通称「五悪段」といわれるのですが、一つ一つは長く書かれています。要約しますと、一つ目の悪は、弱いものをいじめたり、傷つけあって争いをしているといいます。二つ目の悪は、親子・兄弟・家・夫婦それぞれ、義理をわきまえず、驕り高ぶっているといいます。三つめの悪は、邪悪なことを思い、煩悩に苛まされ、貪欲に生きているといいます。四つ目の悪は、世の中の人は二枚舌を使ったり悪口を言ったり嘘をついているといいます。五つめの悪は、怠けて善を修さめず、心を改めようとはしないでいるといいます。詳細に読みますと、道徳的な内容について書かれており、仏道修行を勧めているのではなく、最後は心身を正し、善を修めなさいと諭します。

 今、「道徳」が、様々なところで問題になっています。小学校の科目にも評価されるようになったと聞きます。「道徳」「倫理」「規律」、何を持って基準とするのか分かりませんが、経典には今でも通じるように、ダメなものはダメなのです。

 「仏道」と「道徳」とは、本来はそれほど関わりはありませんでした。仏の教えは自らを見つめることにあるからです。しかし、私たちの生活は、多くの人と関わり、多くの事柄を、一日の中でこなしていかなくてなりません。集団になれば、守らなくてならないルールが生まれるのも当然です。そのような中で、自らを律していくのは難しいですが、ありのままの自分の浅ましさに気がつくことは、少しでも心得ていきたいと思っています。悪の心が芽生えない世の中は理想ですが、現実は正義だけの世の中になれないですね。

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