佛の心 『慈光』第84号より

 理不尽なことが続く昨今です。地球規模で環境がおかしくなり、同時に人の心もどんどん汚れていくのでしょう。

 私たち浄土真宗が大切にする三つのお経『無量寿経』上下二巻、『観無量寿経』一巻、『阿弥陀経』一巻を「浄土三部経」といいました。『無量寿経』の中に説かれている言葉から私たちに考えさせられるものがあります。『阿弥陀経』にも述べられています。

 それは「五濁」といい、五つの濁りのことを言います。①劫濁、時代が濁っていることで、天災や戦争も含めていいます。②見濁、見方や考え方が濁っていることをいいます。③煩悩濁、煩悩が盛んとなり、④衆生濁、衆生の心も濁ってしまうことをいいます。そして⑤命濁、以上のような四つの影響を衆生が受けて、命が短くなり、卑しくなっていく様をいいます。

 このような時に、釈迦は現れたとお経に書かれています。今まさに釈迦のような存在がほしい時代かもしれません。釈迦は、八つの相、つまり姿をお示しになり、我々に悟りの世界を見せたとされます。

 寓話のような話ですが、釈迦が佛の心でもって濁った世を正さなくてはならなかったのでしょう。しかし、お経には厳しい顔で我々に語る釈迦ではなく、穏やかに、その姿は厳かで神々しいとあります。説法を聞く弟子たちも穏やかで、別な箇所には「わげんあいご和願愛語」といい、他の者に対しても優しい言葉をかけるように説いたそうです。「ほとけのこころ」とは、ここから言われているのです。その諸相を「ごとくずいげん五德瑞現」といい、お経では始めに語られる箇所です。

 私たちすべてが穏やかに、他人に対しても優しくありたいと思います。先日のローマ教皇の来日は、他宗であっても、穏やかなその表情には、なんとも言えない優しさと同時に、強さも見えました。今の仏教会はどうだろうかと思いました。お経には、心が穏やかだと仏と心が通じる(仏仏相念)と書いてあります。そうならなくてはならないと感じます。

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