木辺派について

木辺派と慈光寺

慈光寺は真宗木辺派の北海道の別院に準ずるとして大正4(1915)年に建立されました。当時は「錦織寺北海道説教所」と名乗っていました。
 浄土真宗(真宗)には、木辺派だけでなく10派があります。 「真宗教団連合」 といい、ホームページもあります。

この中、私たちの慈光寺は木辺派に属します。それぞれの派の本山には寺号(お寺の名 前)がありますが、私たち木辺派の本山は「錦織寺」といい、場所は滋賀県野洲市にあり ます。詳しくは、真宗木辺派本山錦織寺公式ホームページをご覧下さい。

木辺派は浄土真宗(真宗)の中では少ない派です。歴史は東西本願寺よりも古くて、お仏壇のお飾りなど、特殊なところがあります。

さて木辺派本山錦織寺の由来について簡単にお伝えします。

 錦織寺の歴史は天安二年(858年)まで遡ります。
 当時の比叡山延暦寺の第三世座主であった円仁上人(794ー864年)が弟子の円智を遣わせて「一夜にして一丈六尺に成長した松の霊木」の辺にお堂を造営しことに始まります。堂内には比叡山東塔の霊木で作られた毘沙門天を安置して、仏法を広めるために最も素晴らしいところだとおっしゃられました。そのお堂にはいつしか人々が集り小さな里が作られて、霊木の辺の村から「木部」と呼ばれるようになり、お堂は「天安堂」と名付けられました。錦織寺の境内地には今でも「天安堂」と呼ばれるお堂があります。

 それから380年ほどを経た嘉禎元年(1235年)に浄土真宗の開祖親鸞聖人(1173ー1262年)が関東から京都へ戻ろうとしたときに、木部の里の天安堂に逗留されました。その時、霞ヶ浦の海底から漁師とともに引き上げた阿弥陀如来を背負っておられたそうです。親鸞聖人は阿弥陀如来を毘沙門天像の要請によって、ご本尊として安置して、その後、真宗念仏の道場として広く民衆に親しまれました。

 錦織寺の名称は、暦仁元年(1238年)に七日をかけて夜な夜な、天女が妙なる錦を織って本尊阿弥陀如来に供えたといいます。その錦を時の朝廷に献上したところ、「天神護法錦織之寺」という寺号を賜り、由来「錦織寺」と号するようになりました。

 私たちの派は寺伝からみると、古い歴史があり由緒があることが分かりますね。

在家のお仏壇

慈光寺では、「木辺派」としての仏壇の形がないので、お西(本願寺派)系の仏壇をお勧めしています。
 ただし、本尊阿弥陀如来、九字・十字の名号を合わせた3幅は木辺派本山錦織寺からいただくようにお願いしています。
 そのほかの飾りでは、浄土真宗の形に準じています。
 水やお酒は、供えません。また位牌は用いず、過去帳を供えます。写真では、花瓶を最下段にお飾りしていますが、供花の高さがあるため下に飾っているだけで、本来は、仏壇の中段に飾ります。
 供物は多くあげる必要はなく、写真のように必要最低限のお飾りで構いません。
 仏壇の形も最近では様々です。金仏壇にこだわる必要もありません。詳細は、慈光寺にお問い合わせください。

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