花まつり寄席の前に

以下の挨拶文は、慈光寺花まつり寄席のはじまりに際して、「席亭」といわれ、恥ずかしながら考えた原稿です。

当日は、短い挨拶にしまして、ネット配信をいたしました。この度、大幅に加筆・補正をして、「住職のコラム」に掲載をします。

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ようこそ、慈光寺にお詣り下さいました。当初は426日に花まつりを行う予定でした。しかし、ご存じのように、新型コロナウイルス感染拡大防止から北海道と札幌市に共同で緊急事態宣言が発令されました。これによりやむなく花まつりを中止することにいたしました。

この度は、本堂での開催はできませんが、出演者の方々と話し合い、花まつりの雰囲気を少しでも感じてほしいという思いから、式典の模様と、その後の花まつり寄席をネット配信して、一緒に参加をしていただけたらと考えました。

そもそもお寺は伝統的な宗教行事を行う場所でありながら、ときには宗旨宗派を問わず、人が集えるところでもありました。本堂や境内地で、様々な催し物を行い、店が出て、後には門前町が作られました。今でもその面影を残している場所は多くあります。お寺に来ることは、人々にとっては楽しみであったわけです。

お寺の中では法要などの後には、きちんと仏法について話をしないといけません。お寺に来られた方に、住職や布教を専門的に行う布教師が真剣に話をしなければならないのは、今も変わらないことです。皆さんもご存じのように、「お説教」をするのがお寺の役割です。そもそもお釈迦様が悟りを開かれ、その後に人々に自らが目覚めた人となったことについて話をするのを「初転法輪」といいますから、仏教と「説教」の歴史は、仏教創始以来関係があったといえます。

さて「説教」について調べた唯一ともいえる専門書があります。関山和夫氏の『説教の歴史的研究』(法蔵館、1973年)には、「説教」について大きく二つの系統があるといいます。

一つは、経典の講釈、教義を解明すること。もう一つは、芸能性を帯びた説教の系列だそうです。そして、その影響は中国仏教からであるといいます。日本の歴史の中で、前者の経典の講釈は、源信の『往生要集』にも見られますし、法然は説教が上手で、弟子の親鸞は多くの聴衆が集まる中で、かなり遠くで法然の説教を聞いていたという逸話が残っています。経典解釈は専門的でもあり、難しく考えさせられる話ですが、長くなりますと疲れてしまいます。休憩中にちょっとお話しを面白く、人情劇があったり、笑いを取ったりと、話に「オチ」を付ける余興がありました。これが「オチのある話」、つまり「落語」となったわけです。

「落語」の起源には諸説ありますが、後者の芸能性のある説教といえます。今日「寄席」といいますと、「落語」という印象が強く、現在、各お寺で「寄席」をされていますが、これは「説教」の「芸能面」が全面に出た形です。本来「寄席」には、「落語」だけでなく他の芸も関わってきます。芸能性の「説教」といえば、古くは「節談説教」で、今日でも継承されています。まさに芸術的な説教であると感じます。お寺が「説教」を行う原点であるならば、話をするのは住職である私の役目でもあります。「説教」の中に、私としては先ほど述べました「芸能」の面を出しても成立すると考えていまして、例年の花まつりの式典の後に、ご参詣の皆さまと楽しいひとときを過ごしてほしいと、様々な芸人さんに場を盛り上げてもらいました。

さて花まつりについてのお釈迦様の説話をお話ししないと、お寺としての責任がなくなりますから、少しお話しさせていただきます。

「花まつり」は「お釈迦様の誕生日」をいいます。行事の正式名称は「灌仏会」(かんぶつえ)といいます。

お釈迦様の誕生日は、諸説ありますが、48日といわれています。そこで、4月と8日の月日を別な同じ漢字一字に変えると、仏教ではとても大切な言葉に変わります。

今、大変な時期でもあります。そんなとき、苦しくなるときもあるでしょう。その「苦」という字に月と日を変えると「四苦八苦」となります。「苦」と聞きますと、どうしても憂鬱な印象があるかと思いますが、お釈迦様の説くこの言葉は、お釈迦様がはじめに気がついたもので、若いときに体感したものでした。その中の「四苦」についての説話をお話ししましょう。

お釈迦様、正確には「ゴーダマ・シッダッタ」といい、インドの遙か昔、部族の出身で、その部族はシャカ族といい、シッダッタはその部族の王子でした。城壁に囲まれ、何不自由のない生活をしていました。

あるとき王子は、外の世界を見てみたいと頼み、城の外に出てみました。はじめに東門から外へ出たら、痩せ細った老人が道に横になっていました。王子は、自分の住む城の中にはそのような者はいないため、大いに衝撃を受けます。

またあるとき、南門を出ると病にかかっている人を見て、さらに驚きました。人は皆健康であると思っていた王子にとってはショックでした。

西門を出ると息絶えた人を見ました。そして、葬儀に出くわします。王子には意味が分かりません。人は、老いる。老いると病にかかり、やがて死ぬという現実を目の当たりにします。

最後の北門を出たとき、インドではバラモンといいますが、僧侶に出会います。バラモンは王子に「私利私欲で生きるのではなく、この世界にある真実、すなわち真理を突き詰めなくてはならない」と言われました。それから王子は森の中に行って苦行をします。しかし、いくら苦行をしても何も分からない。そんな時に、苦行をして身体を痛めつけるのでない、その心(精神)のあり方が重要なのだと、気がつきました。これを「目覚めた人」といい、「仏陀」といわれるようになりました。

王子は、老・病・死の理を理解し、今生きている意味、仏教では「生」(しょう)の本当の価値を見出したのだと思います。仏教の教えの本質を極めることは、難しいのですが、己の心のあり方を常に問い続けることが最も大切であるとお釈迦様はいいます。

今、言える事が一つあります。それは今、間違いなく生きていること、つまり、「生」を受けていることです。生きているからこそ、喜び、悲しみ、人を哀れみ、ときに怒りを感じ、私たちは日々を生きています。だから生きているといえると思います。確かに様々な事柄に振り回され、この瞬間も「苦しい」と感じるかもしれません。しかし、この瞬間を大切にしてください。現実は本当に厳しい。様々な感情が入り乱れていますが、もう一度、生きていることを、省みてみようと私も思います。

お釈迦様の言葉を一つご紹介いたしましょう。

 心に煩悩なく 心の惑乱することもなく

 善と悪と超え捨てたる 目覚める人には 恐れなし

『ダンマパダ』「心の章」

人は、このように何の迷いもなく、生きられたら何よりかもしれませんが、いっときでも不安や迷いを忘れる時間があれば、そこには何の恐れもありません。この後は、まず心の中のいろいろなことは忘れて、一端リセットをし、大いに楽しみ、笑ってもらい、生きている素晴らしさを感じてほしいと思います。

そして、「楽しかった」と、もう一言「生きていて良かったね」という言葉が出たら、私たちはとても嬉しく思います。

合 掌

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