「お経」から 『慈光』第88号より

コロナのことからいろいろ考えさせられることが続き、
私自身もどのようにしていくべきか、悩み続けております。

そんなとき、あらためて所依の経典として読んでいる「浄土三部経」に尋ねてみました。

本来ならば、『阿弥陀経』の全体の構成や物語の進行についてご説明していくのですが、
昨今の状況を鑑みて、『阿弥陀経』に書かれていることをもう一度咀嚼できないかと思いました。

『阿弥陀経』をあらためて読み返してみると、
私たちに様々なメッセージを送ってくれていることが分かります。

前半は、極楽世界(西方浄土)の様相について詳細に書かれていますが、
経典の最後の方に、私たちへメッセージが語られています。

釈迦牟尼仏(お釈迦様)は、極楽世界にいる諸仏が説くことは、
不可思議な功徳があるといいます。
これを娑婆の私たちが信じるのは、なかなか難しいとも言います。
それは私たちの世界が五つの濁(よご)れた世であるからです。

一つは劫濁(こうじょく。長い時間をかけて世の中が濁れていく)。

二つは見濁(けんじょく。それによって邪な見方になってしまう)。

三つは煩悩濁(ぼんのうじょく。邪な心から欲望が強くなっていく)。

四つは衆生濁(しゅじょうじょく。欲望にかられた人たちが増えていく)。

五つは命濁(みょうじょく。世の中が汚れ、人心も乱れ、その命も濁れていく)。

大げさに説明をしておりますが、今の世界を見て、
おおよそそのようなことが当てはまるのではないかと感じます。

それ故に釈迦牟尼仏は、人々が信じるのは難しいかもしれないが、
あえて説いていくといいます。

「気づかないこと」や「気づけないこと」、あえて見て見ぬふりをして
「気がつかないふりをしていること」が、多くあるのではないでしょうか。

今私たちは、すべてにおいて「疑い」を持っているように感じます。
いい話を逆手に取って、本当に信じられない詐欺が横行しています。
人を疑いたくなる気持ちは分かります。

しかし、『阿弥陀経』には、自らを一日から七日、一心に心を乱さず、
念仏を称えなさいといいます。

「心を乱さない」のは難しい事ですが、仏の教えに、「疑わず」に純粋に聴く姿勢が、
今はとても求められているように思います。優しく素直な心を持ちたいと思います。

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